【短編小説】ウミガメの土産物

小説とか

 自作短編小説、『ウミガメの土産物』を晒すページです。文字数は1万と少し、読了目安は12分程度です。

 あらすじ:山で遭難した青年は、苦難の果てに、小さな料理店に辿りつく。しかし給仕の少女にはどこかおかしな点があって……?

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ウミガメの土産物

 日頃の鬱憤を晴らしに、紅葉の時期に一人で登山に出掛けた。健康的だ。
 どうせなら、寄り道をして神社やら寺やらを覗こうと考えた。文化的だ。
 遭難し食糧も尽きた。最低限度の生活の保証すらなくなった。致命的だ。

 僕の境遇はこんなところだ。素人が背伸びをして痛い目を見た、という典型的な例だろう。自分は大丈夫、そう言い張る老人たちの気持ちが、まだ20代半ばだというのに理解できてしまった。しかもこの辺りは、どうやら自殺の名所となっているらしいのだ。このままでは僕も、図らずしてそのお仲間に加わってしまうかもしれない。

 後悔に苛まれながら、やっと人間味ある建造物のもとに辿りつけたときには、既に山に入ってから3日が過ぎていた。空が茜色に染まり、全身に冷気が纏わりつきはじめた頃の事だった。

「料理店、なのか? こんな所に?」

 獣道のわきにひっそりと佇む西洋造りの建築物。やや高齢ともいえる外観は、幽霊や鬼や山姥、奇奇怪怪の総本山とも思えるような不気味さをはらんでいる。
 入り口扉に『料理店ウミガメ』という文字がなければ、廃墟か、あるいは心霊スポットと判断されてもおかしくないような風格。オレンジ色に移り変わる建物は、ノーメイクでホラー映画の撮影地にできそうな雰囲気を醸し出していた。

 小学校のころに国語の教科書で読んだ、来客が料理にされてしまう童話が頭に浮かぶ。誘導されたかのように辿り着いたこの建物は酷く不気味で、しかも今の僕は鉄砲も持たなければ犬も連れていない。うっかり捉えられてしまっては、顔がくしゃくしゃになる、程度のオチでは済まないだろう。

 だが幸いにも、裏手の草地には車が停めてある。たった1台の、それも酷くオンボロな自動車ではあったが、けれどその周辺にはつい最近付いたのだろう土の痕が見受けられた。どうやらこの建物には、2足歩行動物が存在してくれるらしい。たじろぐ感情に目を瞑り、僕はドアノブに手をかける――が。

「あれ?」

 開かない。掛札は『OPEN』を示しているが、扉のほうは押しても引いてもスライドしてもびくともしない。鍵がかかっている、という簡単なことに気づくまでに、混乱した僕の頭脳は5秒の時間を要した。

 もしや、既に店を畳んだ後なのか。彷徨った果てに見つけたオアシスがこれとは、僕も運が尽きたのだろうか。すっかり空になったはずのリュックが、靴にこびりついたほんの少しの土が、急に重くなっていくような錯覚に囚われる。

 気色の悪い苦笑いが出力されそうになり、あわてて口元を塞ぐ。そのまま数回深呼吸し、一度思考を整理した結果、やはりどうにかして店に入るしかない、という結論に至った。場合によっては不法侵入になる、とは理解しているが、けれど命を落とすよりは前科がつく方が遥かにマシだ。このまま冷気の中にいることは出来ない、今の僕には休む屋根が必要なのだ。

「……誰かいませんか?」

 まずは正攻法、これでだめなら腹を括ろう。ノックをして、じっと待つこと十数秒。くぐもった小さな返事と共に、入り口は勢いよく開け放たれて――。
 古びた木製の扉は、正面に立っていた僕の額にクリーンヒットした。

「ぶべらっ!」

 ひどく醜い、断末魔とも呼べそうな声が漏れた。もしや僕は、注文のやり取りをするまでもなく料理されてしまうのだろうか。童話にするほどの価値も教訓もないとは、僕という人生はなんと空虚なのだろうか。不意打ちによって動揺した脳に、つまらない考えが浮かんで消えた。

「いらっしゃいませ、ようこ……そ?」

 扉を開けた張本人。長く美しい黒髪を靡かせる少女と。
 痕が残る痛烈な一撃を受けた、みすぼらしい遭難者の僕。
 料理店入り口での出来事にしては、些かアクティブ過ぎる邂逅だった。

*/*

「久々に新しい顔のお客様だったもので。ついはしゃいでしまいました」

 インパクトから数分後。僕は店内の椅子に座って、少女から深々とした謝罪を受けていた。外観からは想像できないような清潔で洒落た洋風の内装と、丁寧な対応をしてくれる給仕さん。顔にクリームを塗ることも、香水を振りかけることも要求してこない、正統派な料理店だった。

 目の前には、洋風の建物には少々似合わない、派手な日本着物を纏った黒髪の娘。美しい外観からは、除霊をする巫女さんのような神聖さすら感じさせる。そんな彼女に頭を下げさせていると、輪郭のない罪悪感がこみあげてくる。

「僕の方も不注意でしたのでお気になさらず。こんな汚い身でありながら入店を許していただいて、感謝しています」

 いたたまれなくなり、僕も椅子から立って腰を屈める。双方謝罪体勢という不可思議な構図で、そのまま静止すること数秒。僕も彼女も噴き出してしまい、声を漏らしながら、テーブルを挟んで座り直した。

「景とお呼び下さい。砕けた口調で話していただけると助かります」
「う、うん。丁寧にありがとう。僕は――」

 自己紹介や身の上話もにこやかに聞いてくれる、景と名乗る少女。聞けば、まだ19歳でありながら、この料理店の給仕を一人でこなしているのだという。青い瞳は柔らかな落ち着きを映し、黒く長い髪は夕日に照らされて艶やかに輝いている。

 その表情にはどこか繕った様子があるが、泥だらけの遭難者を前にしていることを考えれば、作り笑いができるだけでも十分だ。もしも逆の立場だったとしたら、もしも僕が土まみれの男の相手をしなければいけなくなったとしたら、彼女のように笑える自信はない。

「3日間の遭難、大層お疲れでしょう。暖かいものを持ってまいりますね」

 かたりと音を立てながら体を持ち上げ、厨房を向く彼女。一瞬だけ僕と目を合わせた後、小さく口元を緩める。

「心配なさらないで下さい、お代は不要です。滅多に来ないお客さんを喜ばせることが、この店唯一の楽しみなのです」
「……それは、商売として成立しているのかい」
「儲けを出したいのであれば、このような僻地に店を構えたりしませんよ」

 ごもっともな話ではある。だがしかし、金銭面で問題を抱えていたりはしないのだろうか、などと余計な勘ぐりをしてしまう。命拾いをさせてもらった身なのだ、なにか僕にも協力できることがあればいいのだが。

「そうだ、マスターさんに挨拶をさせてはくれないかい? 助けてもらったんだ、お礼を言っておきたくてね」

 景は少しだけ考える素振りを見せた後、分かりました、厨房にご案内しますね、と元気な声を出す。その頃には、店内に設置されていた暖房のお蔭か、冷えきっていた僕の全身にも、幾分か人間相応の体温が戻ってきていた。

*

 厨房で僕を待ち受けていた老人は、洒落た店内の風貌からは全く想像できない姿をしていた。いやむしろ、建物の外観に相応しい身なり、と表現するべきか。不審という2文字が良く似合う。

「いかにも死神、そんな顔をしているでしょう?」

 脊髄反射でイエスの回答をしてしまいそうになり、あわてて口を噤む。
 地毛かと錯覚するような白髪に、仰々しい黒マントを羽織った、骨ばった顔の店主。これは確かに、実写版死神、と呼ぶにふさわしいだろう。

「助けていただいてありがとうございます。僕は――」
「ここの長をしている者だ。つまらない場所ではあるが、気が済むまでくつろいでいってくれ」

 自己紹介に言葉を被せられた事はさておき。
 老人は目を細めて品よく笑うが、その視線は僕には向いていていない。きっと老眼かなにかで視力に問題があるのだろう。あるいは、汚らしい僕の姿を見たくもなかったのだろうか。後者ではないと信じたい。

「何かあったら、遠慮なく景に言ってやってほしい。この娘なら君のことを助けてあげられる」
「そうですよ。何かお申しつけいただけると嬉しいです」

 見ず知らずの人間に正体不明の親切を受けている現状が、少しだけ気味悪く思えた。遭難の疲れで精神がすり減っているのだろうか、それとも無償の助けを受けることに慣れていないだけなのだろうか。

 結局僕は、ありがとうございます、と芸のない感謝を示し、他に何も返せないまま厨房を後にする。その最後まで、僕の視線が老人のそれと合うことは、唯の1回もなかった。

*/*

「普通高校を卒業してすぐ、ここの店に住み込みで働くようになったのですよ。なので実のところ、都会の狭さが少しだけ懐かしいのです」

 テーブル越しに、景の話を聞かせてもらっている。料理ができるまでの数刻、彼女は僕の時間つぶしに付き合ってくれるのだそうだ。十代の少女と話をしたのは何年ぶりだろうか、という自傷が成長しそうになるが、そこはひとまず置いておく。
 こうして彼女と向き合ってコーヒーを飲んでいると、つい先ほどまで遭難していたことが嘘のように思えてくる。平和的過ぎて、反動で明日死ぬのではないか、などという物騒な思考も何処か遠くへ追いやっておこう。

「在学中に、マスター直々にオファーを頂いたのです。しかも給与と待遇が抜群に良くて、ですね。皿なんて営業のたびにダース単位で割ってしまうのですが、それでもクビにしないでもらえているのですよ」

 ちょっと甘やかされ過ぎている気もしますけれどね、と続ける彼女。……明らかにちょっとでは済まないような気がするが、それも僻地ゆえの感覚なのだろうか。正直、僕には理解しかねるものがある。

「お店、回せているのかい?」
「仕事自体が少ないですからね。普段のお客さんはといえば、あそこに座っている常連お二方くらいなものです」

 言葉と共に、小さく顔を動かす黒髪少女。彼女の視線、その先にあるテーブルでは、ニットの初老とベレーの婦人が座っていた。どちらもが暗い表情を浮かべながら、黙って本を読んでいる。

 常連しかいない店、というものには少々の憧れと、そして多大な畏怖がある。自分のような他所者が入ってしまって良かったのか、挨拶でもしなければいけないのか。小市民的な不安が脳内に蔓延り、折角救われたはずの精神が再び過労を訴え始める。

「景さん。僕はあの人たちに何か話した方が良いのかな?」
「放っておいて問題ありません。常連さんですが、お仕事で来ていますので」

 どこか突き放したような響きをはらんだ言葉。距離を取る対象が彼ら二人なのか、それとも僕なのかは分からない。だが、触れないように、と釘を刺されたような気がした。
 こんな山奥に常連になるとは、お勤めご苦労なことだ。何の仕事をしているのか、と聞いてみたい気持ちもあったのだが、しかしそれは避けた方が良いらしい。

「……そろそろ、お料理が出来上がる頃合いでしょうか。少しだけ離れますね」

 そそくさと厨房へと向かう景。19歳という若さなのに立派に働くものだ、と感心しようとしていた時。彼女が席を立ってから二十秒と経たない頃。ぱりん、という繊細な音が厨房から聞こえてきた。何事か、と一瞬だけ心配したものの、一拍遅れた老人の呆れ言葉から察するに、この店では茶飯事なのだろう。

「景、いつも言っているだろう。……頼むから、食器棚には触れないでくれ。怪我は無いな?」
「すみません、いつも通り手が滑ってしまって」

 皿をダース単位で割ってしまう、という冗談めいた少女の発言が、がぜん現実味を帯びてくる。だが、ひとまずは怪我がないようで一安心、なのだろうか。

 小さく息を漏らしながら首をコキコキと鳴らしていると、今まさに店を出ようとしている常連客の姿が目に入った。扉に手をかけるベレー帽の婦人、その悲しげな横顔は、僕に未知の感情をもたらした。

「……あのっ」

 無意識のうちに立ち上がり、小さく声が漏れていた。自分でもロクに理解していないというのに、勝手に口が動いた。何故だろうか、彼らにはお礼の言葉を伝えなければならないような気がしたのだ。

 だが二人組は、こちらのテーブルをちらりと見て、けれど何か目立った反応を示してくれるわけではなく。そのままゆっくりと扉を動かし、無言のまま去っていってしまった。
 戸に掛けられていた鈴が、からん、という軽い音をたてる。得体の知れない感謝は、不可思議な虚無感へと移り変わっていた。

「お待たせしました。……どうかされたのですか?」

 体の向きをテーブルの方へと戻すと、いつの間にか景が料理を運んできていた。なんでもないよ、と適当な返事を流しながら、ぎこちのない作り笑いを貼り付ける。目の前の娘が浮かべているような綺麗なものとはいかなかった。

「マスターお手製のディナーです。胃腸が弱っているでしょうから、ゆっくり食べて下さいね」

 運ばれてきたものはサンドイッチやスープ、といったごく普通の洋食。もちろん料理店ということはあり、どれも丁寧に盛り付けられていたのだが、目立った新しさがあるわけではない。つい先ほどまで非日常の世界で放浪していた身としては、この日常料理が堪らなく愛おしかった。

「最後にこちら。珍しいお肉を使った、特別な料理なのですよ」

 ラスト一皿に盛られていた品は、肉と野菜の炒めもの。確かに食欲をそそられるが、外観だけではありふれた料理と見分けがつかない。一体何が特別なのだろうか。

「珍しい、か。何の肉を使っているんだい」
「羊のももにく、ですね。種類は、ええと……アミ? アルミ肉? なんと言いましたっけ」

 ……彼女は、19歳にしては随分と気品があるように思える。少女のあどけなさと働く女性としての凛とした姿、その両方がどうしようもなく魅力的である、のだが。

 しかし、皿を割ったり皿を割ったり目玉料理の正体を忘れたり。給仕としてそれでいいのか、というツッコミが喉まで出かかってしまった。どうしてマスター氏がわざわざ彼女にオファーを掛けたのか、僕にはさっぱり分からない。客寄せもクソもない僻地で、容姿が優れていることはそれほど大事なのだろうか。

 ……いかんいかん、向こうが親しみやすいように気を遣ってくれていることは、僕が態度を大きくして良い理由にはならないだろうが。そう思考を押さえつけ、言葉を飲み込んで苦笑いを浮かべる。ひどくお粗末な表情を見て察したのか、景は自嘲気味に笑いだす。

「私は給仕の立場に身を置いていますが、仕事と呼べる仕事は皿運びと簡単な力仕事くらいなものなのですよ。……本当は料理もしたいのですが、何故か止められていまして」

 ナイスマスター、と心の中で英断を讃える。この少女は恐らく、包丁を持たせてはいけないタイプの人類だ。家庭的よりも猟奇的な方向にイメージが伸びてしまう。黒く長い髪も、美しい着物も、残念ながらグロテスクな赤色を中和することは出来ない。
 だが当然、そんなことを口にできるわけはない。僕にできる事といえば、インスタントな苦笑いを崩さないように保つくらいだった。

 なお、肉の味に関しては文句なし。程よい酸味や歯ごたえが特徴的な、これまでに食べたことがない料理だ。ジンギスカンとはこのような味なのか、下山したら通販を頼んでみようか、などと気の抜けた発想に水をやりながら、僕は満面の笑みで無銭飲食を続けた。

*/*

「2階の角部屋、私の寝室の隣が空いておりますので。お風呂もお着替えも準備があります、今日は是非お泊りになって下さい」

 景の親切な言葉に全力で乗りかかり、一度は眠りに落ちた僕だったが、膀胱の異常で目を覚ました。窓の外は薄い月明かりで見通しが悪く、部屋の時計は深夜の1時過ぎを示している。倒れ込むように寝床についてから、いつの間にか数時間が経過していたようだ。

 懐中電灯を片手に廊下に出ると、なにやら奥の部屋から物音が鳴った。興味半分に近づいて、扉に耳を当ててみると、景のものと思われるため息が聞こえてくる。

「……これだけは、何度やっても慣れませんね」

 少女の独り言。一体扉の向こう側で何をしているのだろう。
 ごり、ごり、ごり。ノコギリを引くような鈍い音が聞こえる。昼間に言っていた『簡単な力仕事』というものなのだろうか。深夜だというのにご苦労なことだ。給仕としてどうなのか、という評価は撤回すべきかもしれない。

「景さん、仕事があるなら手伝おうか?」
「……いえ、少し失敗してしまっただけですので。お騒がせして申し訳ありません」

 板越しに交わされる、小声での会話。本当は手助けの一つでもしたい所ではあったが、素人が居てはかえって邪魔になるかもしれない。そう判断し、扉を離れようとしたのだが。

 その時、嗅覚が不調を訴えた。
 生臭さと鉄が混ざったような、嫌悪感を催す身近なにおい。目に見えない不快物が、扉の向こうから少しずつ溢れだしていた。

「……景さん、怪我でもした?」

 作業中に何かトラブルがあったのか、それとも晩飯時の皿割り騒動で指でも切っていたのだろうか。安っぽい心配が、僕の凡俗な脳内を反響する。だが、扉の向こうにいる少女は、全く語調を乱すこともなく、明るい声を返してくるのだ。

「私は大丈夫です。少しだけ汚れてしまいましたが、洗えばにおいも落ちると思いますので」
「……そうか、夜も遅いのに、変なことを聞いて悪かったね」
「いえいえ。おやすみなさい」

 焦った様子も苦しんでいる様子もない。夕方に聞いたものと同じ、平常的で可愛らしい口調だった。彼女がそう言うのならば、少しずつ廊下を支配し始めているこの臭いも、きっと気のせいだ。遭難の疲れで五感が異常をきたしているのだろう。強引ともいえるような考えで現状認識を片づけることにした、のだが。

「ああ、おやす……」

 おやすみ、と言葉にし掛けたその時。靴越しに伝わる、不思議な感覚に気がついてしまった。
 決してそこに有るはずがない、ドロドロとした液体。
 扉の向こう側から漏れ出ているそれは、酷く醜い、脳に危険を訴える色をしていたのだ。足を動かすと、ぬちゃり、という奇妙な音が廊下に響いた。

*

 いつの間にか、僕は借りていた部屋に戻っていて、その隅で酷く惨めに震えていた。二十歳を超えた男がしていいような恰好ではなかっただろうが、けれどその時の僕には自らを嘲る余裕すらなかったのだ。そうしてやっと呼吸が整った頃には、時刻は既に丑三つ時へと至っていた。

 見間違い、明晰夢、疲れから生じた不幸な錯覚。いくら逃げ道を探しても、靴裏にこびりついたドスの効いた色が、僕に現実を直視するよう諭してくる。あの部屋から漏れ出ていたモノは、確かに赤い体液だったのだ。

 冷静になれ。大きく息を吸い込み、不快なにおいに鼻を曲げながら、先の状況を分析することにする。そうでもしないと、簡単に想起できる結論に引きずり込まれてしまいそうだった。

 動物の解体か何かが行われていたのだろう。ノコギリを引く音と赤色の液体、この2つが思考材料として揃ってしまった以上、そう考えるのはさほど不自然なことではない。
 その動物は、順当に考えれば羊。彼女は晩飯時、『羊のももにくが使われた特別な料理』を運んできていた。深夜に室内で生き物を解体する、という行為は些か不気味ではあるが、余所者に難癖をつけられる謂れもない。

 ……そうやって怯える精神を押さえつけてはみるが、自分の精神を騙し切ることは難しい。この店を訪れる直前に僕の脳内を覆い尽くしていた妄想、来客が料理されてしまうお伽噺が、脳裏に張り付いて離れてくれない。

「そんな事、あり得ないだろう」

 言い聞かせてみても、体の震えは止まらない。寒さのせいではない、もっと本能的な恐怖が、僕を包み込んだまま解放してくれない。いやな考えを忘れたくて、自分の頭を思い切り殴ってみたが、おおよそ痛みと呼べるものを感じることは出来なかった。

 と、ちょうどその時。タイミングが良いのか悪いのか、隣の部屋から扉を開く音が聞こえた。景がベッドへ向かう音なのだろう。彼女が寝室に入ったということは、奥の部屋には誰もいないはずだ。ちらりと覗いて羊の死体を確認し、安心して部屋に戻ればいい。そう考えた僕の身体は、自分でも驚くほどに早く動いていた。
 そして、僕はあの部屋の扉を開いてしまったのだ。

*

 明かりをつけなければ、あるいは冷静でいられたのかもしれない。もう少し部屋の見通しが悪ければ、僕は目の前に散乱する群れを正しく認識できなかっただろう。

「……ひっ」

 情けない声が出そうになり、両手で口を塞ぐ。広がっていたそれは、ジョークにしては趣味が悪すぎる光景。しかしどこかで、僕はこの惨劇に納得できていた。

 部屋に置かれていたそれらは、ヒトだったものの成れの果て。
 見当たる部位は全部で五つ、四肢と胴体だ。けれどこの部屋には、僕以外の目も耳も口も、どこにも存在しない。

 腹部には、何か太いものを突き刺されたのだろうか、ぽっかりと風穴が空いている。そして右足は、太ももやふくらはぎについているはずの肉が綺麗に抉られ、骨がむき出しになっていた。

 不意に、強烈な吐き気が全身を襲う。何の肉を使っているのか、僕の問いに対する『羊のももにく』という景の返答。あのときの黒髪彼女は、繕った笑顔の裏に何を思っていたのだろうか。

「……どうされましたか?」

 背後から、少女の声が聞こえた。相も変わらず、深夜らしい落ち着いた口調。平常心のままこの光景を見ている彼女が、酷く不気味に思えた。
 美しく流れていた黒髪、人形のように整った顔つき、巫女のようにも見える派手な服装。その所々に、昼間には見当たらなかった赤いシミが増えている。色の由来など、考えるまでもなかった。

「普段はもう少し静かに処理できるのですが。今回は少々勝手が違ったもので」

 景の目には、青く端麗な輝きがあった。虚ろなわけでも、狂気に染まっているわけでもない。彼女は、自身の意思でこの部屋の惨状を作りあげたのだ。そう考える他に、目の前の光景を理解するすべはなかった。

 なにか言葉を返さなければいけない。そう思っていても、口は上手く動いてくれない。呼吸すらもままならない成人男性の姿は、きっと酸素不足を訴える金魚よりも滑稽だったのだろう。そんな僕に小さく笑い掛けながら、彼女は足元に置いていた球形を拾いあげる。

「お渡ししなければならないものがありましたね」

 彼女が両手で大事そうに抱え、差し出してきたものは。
 この部屋に唯一足りなかった、バレーボールほどの大きさの。
 人間が人間であると判断するために必要な、最も大切なパーツ。

 毎日鏡で見ている、平凡な顔が描かれた物体。それを目の当たりして、僕は全てを思い出した。

「……そういう、ことだったのか」
「御免なさいね。私は、このような方法しか知らないのです」

 彼女が悲しげに笑う。初めてみた、繕いのない表情だった。

「ありがとう景さん、嫌な役をさせたね」
「寂しくなります。私の話を聞いてくださって、ありがとうございました」

 彼女の言葉が徐々に小さくなっていく。けれどそれは、声量が減ったわけではなく、自分の聴覚が遠ざかっているのだ。
 視界が暗く染まっていく。夜の闇などという風情のある類ではない。
 不快なにおいが消えていく。惨状は何ひとつ変わっていないのに、だった。

「次はもっと長生きして下さいね」

 青い瞳は、もう僕を見てはいなかった。虚構となった愚かな男の姿を、ついに見失ってしまったのだろう。厨房で見た、店主の目と全く同じものだった。

 景、という名の少女。この娘は、狂気の内側で健気に生きているのだろう。だからこそ、最後まで気品と風格を備えて、静かに笑っていられるに違いない。

*

 私は生まれも育ちも日本であり、両親もごくごく一般的な日本人だ。けれど鏡に映る瞳は、生まれたときから青色だった。

 人に見えないものが見える、そのことに気づいたのは5歳の頃だ。傍から見た私は、何もないところに視線を向け、誰もいないはずなのに避ける動作を取るような、不思議な子供だったのだろう。
 今でこそ慣れてはきたものの、やはり存在しないものを避けようとする癖は変わらない。私が皿を割り続けてしまう理由も、半分くらいはそれに起因している。

「今回の客も、やはりもう帰ったのか」

 その日の朝は、店長のしわがれた労いの声から始まった。昨日泊まってくれた青年の姿は、すでにこの建物の中には見当たらない。準備された二人分の朝食は、まるで客など初めから居なかったかのように、私と店長の前に並べられている。

 今日もまた、普段通りの静かな食事が始まる。今までも何回か、この店を訪れた人と楽しく会話したことはあったが、次の日を共にしたことは一度もないのだ。大丈夫、私はもう慣れてしまった。

 ……果たして、この気持ちと親しくなってしまって良かったのだろうか。もっと優しい方法を選べたのではないか。考えてはみるが、いつまでたっても結論が出ないことを、私は経験則で理解している。

「毎度毎度、嫌な仕事をさせて済まない」
「とんでもない。私がやっている事は、迷子の道案内と何ら変わらないのですから」

 浮遊霊を目視することができる。
 それが、私がこの料理店で雇われている理由だった。命を落としたことに気づけなかった、世を彷徨い続ける方々。彼らに、酷く惨たらしい方法で死の自覚を植え付け、しがらみから解き放つこと。それが私、景という少女に与えられた役割なのだ。

 普通、滅多なことがない限りは浮遊霊なんて発生しない。けれど、この山には古の神社や寺が多く、死者が去りにくい敷地になってしまっているらしい。不幸にも木々の間で彷徨い続けてしまっている方々、命が終わった彼らに死を提供する場が、この料理店なのだ。

「彼らを救えるのは私だけ、ですよね」
「……ああ、その通りだ」

 先の青年は珍しいケースだった。辺り一帯が自殺の名所とされていることもあり、この喫茶店を訪れるひとは大抵、自ら命を絶とうとした人間の霊なのだ。
だが店長さん曰く、彼は遭難中に高所から足を滑らせて、お腹に木が刺さって亡くなったそうだ。

 青年のような罪のない人の遺体を切り刻み、自らの肉を料理として食べさせ、その成れの果てを目に焼き付けさせる。酷いやり方だとは理解している。けれど、消えることもなく漂い続けるよりは遥かに良いだろう。必要な悪であるのならば、私は喜んでその役を引き受ける。

「景。今日も2人が訪れる。自殺した男性を運んでくるそうだ」

 ニットの初老とベレーの婦人。彼らがこの店に来るときには必ず、山中で発見された遺体を持ち込んでくるのだ。唯一の常連客であり、できれば笑って来店して欲しいが、そういうわけにもいかないだろう。仕事柄、明るい表情など浮かべられるはずもない。

「死体は部屋に運ばせておく。直に、残滓に釣られて霊が辿りつくだろう」
「分かりました。……今のうちに鍵を閉めておきますね」

 いつの間にか店内に入られてしまっている、という事態を防ぐために、入り口扉の鍵はあらかじめ閉めておくことがルールになっていた。訪れる浮遊霊は私にしか見えないのだから、もちろん全ての会話やお世話も私の仕事だ。

 先の青年と話しているときも、店長や常連の2人からすれば、私は何もないところに語り掛けているように見えていたのだろう。ある意味で、私は霊となった方々よりも孤独なのかもしれない。

 だがそれでも、私はこの場所でノックを待ち、勢いよく扉を開ける。
「久々に新しい顔のお客様だったもので。ついはしゃいでしまいました」
 虚構を口にしながら、私は笑うのだ。

 


 お読みいただきありがとうございました。

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